★このブログは私が南山中高等学校男子部の英語教員だったときに英語の副教材として発行していた「日英バイリンガル通信」の継続版です。★第1号は2002年11月発行で、当時の生徒は中学1年生でした。通信の最終号(第29号)は2008年3月発行で、生徒は持ち上がってきた高校3年生です。★同年3月に退職してからも同通信をブログで発行し続け、今日に至っています。 This is a continuation of the bilingual bulletin that I published for my students when I was an English teacher at Nanzan High School in Nagoya, Japan. I started the publication when I taught the seventh graders in 2002 and finished it when they graduated in 2008. I published 29 issues during the 6 years.
Thursday, July 23, 2020
日本語を殺す "Go to トラベル" "Go to toraberu" (Go to travel) Endangers Japanese Language
Monday, July 6, 2020
睡蓮たち Lotus Flowers
コロナ禍のため家に閉じこもっていては運動不足になるから、時々、午後四時ごろに公園に散歩に出かけていた。公園には大きな池があり真ん中に噴水がある。
六月初旬、池に行ったところ、睡蓮が池一面に群生していた。しかし、花が全部閉じていていた。数日後また行ったが、また閉じていた。その後三回ほど行ったがいつも閉じている。
ある日、池で魚釣りをしていた少年に「花がいつも閉じているけど」と話すと、「午前中は開いてますよ」という。
翌日、珍しく朝から晴れており、池に出かけた。池に行くと何百もの白い睡蓮が咲いていた。
ネットで調べると「睡」は「眠る」という意味だそうだ。そうか、睡蓮たちは私が行くころは眠っていたのか。
Saturday, June 27, 2020
「2001年宇宙の」旅」撮影裏話 Making of 2001: Space Odyssey
映画「2001年宇宙の旅」(原作アーサークラーク、監督スタンレー・キューブリック)の最初の場面<人類の登場>を製作するとき、スチュアート・フリーボーンが率いるスタッフたちは類人猿のお面と着ぐるみを造るのに苦労した。
彼らは動物園に行って猿がどのように牙をむき、食べ、怒り、水を飲むか等、その生態を観察した。映画でメスの類人猿が赤ん坊に授乳する場面では本物の猿の赤ん坊を使った。猿のお面をつけていると息苦しくなるので呼吸がしやすいように小型の酸素タンクを猿のお面の中に取り付けた。また、猿が唇を裏返したとき、舌や歯が本物そっくりに見えるように工夫した。さらに、太陽の光に照らされているように見せるため、100万ワットにのぼる無数の電球を使った。豹が類人猿に襲いかかる場面では、豹を飼いならしておいた。このように、試行錯誤を何度も何度も繰り返してフリーボーンは<人類の登場>の場面を制作した。
ある日、フリーボーンは、たまたま「2001年宇宙の旅」を見る機会があり、<人類の登場>場面を見たときのことを次のように書いている。
「私は我ながら、なかなか巧くできている、と思ったんだ。すると、ちょうど私の座席の後ろに家族連れが座っていて、奥さんが旦那に「あれって、本物の猿なの?」と訊いた。勿論、私は耳をそばだてたよ。旦那は「そうだよ、本物だよ」「猿にどうやって演技させたのかしら」「そりゃ、なんだね、特別に訓練したのさ」と旦那が言った。これほど素晴らしいことはなかったな。「やった、やった、でかした」と思ったね。苦労した甲斐があったよ」
Thursday, June 4, 2020
亀趺と天禄辟邪と私
浚渫でびっくり A Surprise during Dredging
Friday, May 8, 2020
現代のヒーロー Today's Hero
今朝の新聞である絵画の写真が目を引いた。少年の絵で、彼は看護師の人形を手にもって、スーパーマンのように空中を飛行させている。看護師はマントを翻して、空を飛んでいるように見える。
イギリスの画家バンスキーさんが病院に寄贈した最新作の絵である。少年も、看護師も、ゴミ屑籠に入れられたバットマンやスーパーマンなども実にうまく描かれている。今、世界中に蔓延しているコロナ禍の時に、スーパーマンに代わる新しいヒーローの登場を現わしている。
看護師の胸にある赤十字のみが赤色で、見る者の目をとらえており、素晴らしい作品だ。
医療従事者は本当に命を懸けてウイルスと戦っている。まさしくヒーローだ。
Wednesday, April 29, 2020
コロナ禍に思うこと Life under Corona Virus Pandemic
コロナ禍に思うこと
As for my life, it has drastically changed. First, I have nowhere to spend money. I don’t have to pay for various classes, movies, converts, theaters, and museums. Secondly, I began to read the books I had kept in my bookshelves intending to read. Recently, I read “Gei Jyu-ya” (Ten Stories on Kabuki Plays), which recorded the dialogue between Banto Mitsugoro and Tetsuya Takeda, “Koto” written by Yasunari Kawabata, “Katen no Shiro” (Castle in the Fiery Heaven) by Kenichi Yamamoto, and “Jamaica Inn” by Daphne du Maurier. Thirdly, I have watched the recorded television videos which I had missed to watch for many months. Also, I began to take a walk every day to take exercise. I usually walk along the Yamazaki River. I try to walk more than 5000 steps a day. The average steps was 6,400 in March and 6750 steps in April. Furthermore, I am writing short stories. I am correcting my manuscripts such as “The Shutter Will Clos at Six,” and “Jyanen no Nomi” (Evil Thoughts and Chisel). In addition to them, I correspond with my old friends from my elementary, junior, senior high schools, and university, and the former colleagues in Nanzan High School through Lines and e-mails.
The new corona virus pandemic will probably continue about a year or more. I will try not to catch the disease. And after the pandemic ceases, I will go anywhere I want to go, eat anything I want to eat, and meet anybody I want to meet. Until then, endurance, endurance, and endurance.





