新作ゴジラ、最低の出来
ガレス・エドワーズ監督、米国怪獣映画『ゴジラ」を見たが、出来がまずい。がっかりした。ありゃ、混乱と辟易と醜悪の塊じゃないか。人間性なんてこれっぽちもない。
話の筋が大混乱
映画では怪獣が3匹も現れる。ムトーと言うカマキリのような怪獣2匹(1979年の「エイリアン」の怪獣に似ている)とゴジラだ。この二匹のムトーがゴジラと闘う。なぜ闘うのか分からない。おかげで話の筋が大混乱。ゴジラ一匹だけ登場させれば、もっと単純明快な面白い映画ができたのに。サービス過剰は作品を殺してしまう。
観衆は傍観するだけ
ムトーとゴジラの闘いを見て、観衆の関心は専ら、勝者はどちらかということになる。まるでボクシングの試合観戦をしている気分になってしまう。ゴジラの攻撃対象は人間ではなくムトーに向けられているので、観衆は映画に入り込めない。従って、三匹の怪獣は観衆から遠い存在となっている。ゴジラは人間世界を攻撃すべきであって、カマキリ怪獣を攻撃すべきではない。ムトーは邪魔だ。
退屈で退屈で
ムトーとゴジラの死闘が延々と続く。何回も何回も、気が遠くなるぐらい長い時間闘う。おそらく映画の半分が戦闘場面だ。さらに、映画の出だしから半分は観衆の恐怖を煽るために使われている。煽るばかりで怪獣が出現するまで延々と待たされる。出現してもゴジラじゃなくて、ムトーだ。恐怖心を煽るのは10分で十分だ。ゴムひもは引っ張り続けると切れる。
パクリ映画
「ゴジラ」は最近の悲惨な出来事のパクリだ。怪獣が戦っているとき、戦闘機が摩天楼に突っ込むが、これはニューヨークの9.11事件のパクリだ。サンフランシスコの街に洪水が流れ込むシーンは3.11の日本の津波災害のパクリだ。フォード・ブラディがパラシュートで落下するとき、呼吸する音が聞こえるが、これは「2001年宇宙の旅」のラストシーンのパクリだ。パクリではオリジナリティーがでない。
主人公は誰か
この映画の主人公は誰か。フォード・ブロディかと思いきや、彼はこれといった重要な役割を果たしていない。彼は爆発物処理技師であるが、その専門技術が映画に反映されていない。私は初めジョー・ブロディかと思ったが映画の前半部で死んでしまう。日本人の芹沢博士は映画では主要な役割を与えられていない。彼は単なる日本的つまとして添えられているだけである。
不可解な結末
ゴジラは最後のシーンで、怪我をしている様子もなく、海に入っていく。私は映画の終わり近くでゴジラが地面に倒れて動かなくなっているのを見て、死んだと思ったが、どのようにして殺されたかがわからなかった。「致命的」な打撃シーンが全くなかったからだ。ところが、ラストシーンでゴジラは突然海に向かって前進していた。ゴジラの怪我は治ったのか。体力はどのように回復したのか。わからない。なんとも不可解な映画で、これじゃ観衆を欺くインチキ映画だ。
人間性の欠如
感動するようなシーンがない。単なる破壊に次ぐ破壊を見せるための映画だ。怪獣の闘いは建物、鉄道、橋、道路等をどんどん破壊していく。ただそれだけ。1954年日本製作の「ゴジラ」では芹沢博士はゴジラを溶かして骨だけにするため自分の命を犠牲にするという人間ドラマがある。さらに日本の「ゴジラ」は核兵器反対を観衆に訴えている。2014年の「ゴジラ」にはメッセージがない。
この映画はくだらない。醜さそのものだ。
話の筋が大混乱
映画では怪獣が3匹も現れる。ムトーと言うカマキリのような怪獣2匹(1979年の「エイリアン」の怪獣に似ている)とゴジラだ。この二匹のムトーがゴジラと闘う。なぜ闘うのか分からない。おかげで話の筋が大混乱。ゴジラ一匹だけ登場させれば、もっと単純明快な面白い映画ができたのに。サービス過剰は作品を殺してしまう。
観衆は傍観するだけ
ムトーとゴジラの闘いを見て、観衆の関心は専ら、勝者はどちらかということになる。まるでボクシングの試合観戦をしている気分になってしまう。ゴジラの攻撃対象は人間ではなくムトーに向けられているので、観衆は映画に入り込めない。従って、三匹の怪獣は観衆から遠い存在となっている。ゴジラは人間世界を攻撃すべきであって、カマキリ怪獣を攻撃すべきではない。ムトーは邪魔だ。
退屈で退屈で
ムトーとゴジラの死闘が延々と続く。何回も何回も、気が遠くなるぐらい長い時間闘う。おそらく映画の半分が戦闘場面だ。さらに、映画の出だしから半分は観衆の恐怖を煽るために使われている。煽るばかりで怪獣が出現するまで延々と待たされる。出現してもゴジラじゃなくて、ムトーだ。恐怖心を煽るのは10分で十分だ。ゴムひもは引っ張り続けると切れる。
パクリ映画
「ゴジラ」は最近の悲惨な出来事のパクリだ。怪獣が戦っているとき、戦闘機が摩天楼に突っ込むが、これはニューヨークの9.11事件のパクリだ。サンフランシスコの街に洪水が流れ込むシーンは3.11の日本の津波災害のパクリだ。フォード・ブラディがパラシュートで落下するとき、呼吸する音が聞こえるが、これは「2001年宇宙の旅」のラストシーンのパクリだ。パクリではオリジナリティーがでない。
主人公は誰か
この映画の主人公は誰か。フォード・ブロディかと思いきや、彼はこれといった重要な役割を果たしていない。彼は爆発物処理技師であるが、その専門技術が映画に反映されていない。私は初めジョー・ブロディかと思ったが映画の前半部で死んでしまう。日本人の芹沢博士は映画では主要な役割を与えられていない。彼は単なる日本的つまとして添えられているだけである。
不可解な結末
ゴジラは最後のシーンで、怪我をしている様子もなく、海に入っていく。私は映画の終わり近くでゴジラが地面に倒れて動かなくなっているのを見て、死んだと思ったが、どのようにして殺されたかがわからなかった。「致命的」な打撃シーンが全くなかったからだ。ところが、ラストシーンでゴジラは突然海に向かって前進していた。ゴジラの怪我は治ったのか。体力はどのように回復したのか。わからない。なんとも不可解な映画で、これじゃ観衆を欺くインチキ映画だ。
人間性の欠如
感動するようなシーンがない。単なる破壊に次ぐ破壊を見せるための映画だ。怪獣の闘いは建物、鉄道、橋、道路等をどんどん破壊していく。ただそれだけ。1954年日本製作の「ゴジラ」では芹沢博士はゴジラを溶かして骨だけにするため自分の命を犠牲にするという人間ドラマがある。さらに日本の「ゴジラ」は核兵器反対を観衆に訴えている。2014年の「ゴジラ」にはメッセージがない。
この映画はくだらない。醜さそのものだ。
2014 GODZILLA, UGLINESS ITSLEF
I was disappointed to see “Godzilla,” the 2014 movie directed by Gareth Edwards. It was a chunk of confusion, boredom, and ugliness. It lacks human drama.Confusion:
I don’t understand why the director used three monsters: two “Mutos” (mantis-like monsters resembling the one in the 1979 film “Alien”) and Godzilla. The two Mutos fight against Godzilla. Why do they have to fight? That makes the movie confusing. Mutos are nothing but a hindrance to the development of the plot. One single monster, Godzilla, could make the movie more exciting and entertaining. Too many cooks spol the broth.
Indirectness:
Since the Mutos and Godzilla fight against each other, the audience’s attention focuses on which side will win. They feel as if they were watching a boxing match. Since Godzilla’s attack is directed at the Mutos, and not to human beings, the audience is not directly involved in the film. The monsters are in a “remote place” from the audience. Godzilla should attack human beings, not the weird mantis-like monsters. The Mutos are a hindrance.
Boredom:
The film is boring because the battle between the Mutos and Godzilla continues for a tremendously long time. They fight repeatedly and endlessly. The battle scenes occupy more than half of the movie. Furthermore, the first half of the film is spent to arouse fear on the part of the audience. The audience has to wait too long before they see a monster (disappointingly, not Godzilla but a Muto). Ten minutes is enough for evoking a sense of dread in the audience. Keeping a rubber cord stretched too long will break it.
Patchwork:
Godzilla is a patchwork of fearful scenes from historical incidents. During the fight between the monsters, fighter planes crash into skyscrapers. This is an imitation of the 9.11 disaster in New York. It also shows the tsunami scene where the sea water flows into the San Francisco streets. This is an imitation of the 3. 11 tsunami disaster in Japan. The film also imitates the sound effect in a 1968 SF film, "2001: A Space Odyssey." While Ford Brody is parachuting down, the audience hears the loud noise of his breathing. The breathing noise is used in the last scene of "2001: A Space Odyssey." As with anything, imitation lacks originality and does not excite the audience.
No protagonist:
Who is the protagonist of the movie? Probably it is Ford Brody, but he does not play a major role in the film. He is an explosive ordnance disposal technician, but his skill is not used well. At first, I thought Joe Brody was the main character, but he dies in an early stage of the film. Dr. Ishiro Serizawa, a Japanese scientist, does not play a significant role. He is just a decoration to add a taste of Japan to the film.
Bad Ending:
Godzilla returns back into the sea without any apparent injury. When I saw Godzilla lying on the ground motionless toward the end of the film, I thought he was dead. I wondered how he was killed because the film did not show how Godzilla was “fatally” attacked. Suddenly, however, Godzilla is walking into the sea in the end of the film. How has Godzilla recovered? How has he gained power? This is incomprehensible. I say it is a cheap trick that betrays the audience.
No Humanity
There is no moving scene. It just shows destruction after destruction. The monsters’ fight destroys buildings, railroads, bridges, and roads one after another. I was moved when I saw the 1954 Japanese "Godzilla" where Dr. Serizawa sacrifices his life to reduce Godzilla to bones. Moreover, the original Godzilla appeals to the audience against nuclear weapons. The 2014 Godzilla does not have any message.
I did not enjoy the film; it was ugliness itself.
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