Monday, April 5, 2021

嶋津導彦君を偲んで In Memory of Michihiko Shimazu

 4月2日、友人の嶋津導彦君が亡くなりました。彼は大垣の興文小学校、中学校、大垣北高等学校の同窓生でした。この度、「北高通信」に以下のような追悼文を書きました。

   A close friend of mine named Michihiko Shimazu died of cancer on April 2. He and I went to the same Kobun Elementary School, Kobun Junior High School, and Kita Senior High school. The eulogy I wrote for him was published in the Kita Senior High School Alumni Bulletin on the Internet. I do not intend to translate it into English.


嶋津導彦君を偲んで

 

松岡 博

 

嶋津君のお通夜に行ってきました。ご遺影の前に立って焼香するとき、ああ、本当に死んでしまったのか、と悲しみがこみあげてきました。

 嶋津君は興文小学校、中学校、北高と同級生でしたが、親しくなったのはこの七、八年です。

 彼は、「味蕾会(みらいかい)」の幹事でした。「味蕾会」は、名古屋とその近郊に住んでいる興文小の同窓生の会で、年に四、五回でしたが、七、八人が集まり、名古屋の料理店で昼飯を食べ、飲み、歓談する会でした。(今は休止)

嶋津君の特技は蕎麦でした。彼は信州にそば畑を持っていて、蕎麦を育て、そば粉を作り、練って、自前の蕎麦を作っていました。おいしい蕎麦を作るために、東京はじめ日本各地の蕎麦作り研修会に泊りがけで出席していました。その腕を振るって、彼は老人ホームで蕎麦を作ってご老人に出していました。

わたしが北高の同窓会に参加するとき、電車で彼と一緒でしたが、蕎麦の話になると、人間が変わったように蘊蓄を語り始めました。鞄から数冊のノートを取り出して、見せてくれました。蕎麦のことが、どのページにも図解入りでびっしり書かれていました。同窓会に出るときでさえも、そのノートを肌身離さず持っているくらい蕎麦大好き人間でした。 

彼曰く、「スーパーで売ってる『ゆでそば』は、袋の裏を見ると本物の蕎麦かどうかわかるんだ。原材料のところで、最初に小麦粉と書いてあれば、そば粉が少ないってことだよ。うまい蕎麦は、最初にそば粉、次に小麦粉と書いてある」

 家に帰って冷蔵庫を開けて、「ゆでそば」の裏を見たら、最初に「小麦粉」と書いてありました。こりゃ、そば粉をまぶしたうどん粉か、と思いました。

 彼は「素庵覚書」と言う蕎麦専門のブログを開設していました。ほとんど毎日のように更新していましたが、三月二十一日の更新が最後でした。彼が作った蕎麦を食べたかった。

 彼のラインの投稿は愉快でした。「興文同期」のライングループに彼は多くの写真や動画の投稿をしてくれました。どれも味のあるものばかりで、バンクシーの絵、懐メロ、数字クイズ、トリオのサンタクロースのダンス、赤ん坊を世話する犬、愉快に踊る猫、悪戯な女の子、洗濯をする犬など、コロナ禍で家に閉じこもるこの一年、彼の投稿にストレスが発散したものです。私の女房も彼の投稿を楽しんでいました。

彼の形見として大事に取ってあるものがあります。彼の手作りの陶器の皿です。二カ月ぐらい前でしたか、嶋津君がわざわざ私の家まで来てくれて、

「形は歪だけど、こんなものできた」

 と言って、皿を二枚くれました。絵柄は「チコちゃん」です。一枚はチコちゃんが笑っている顔、もう一枚は怒っている顔です。両方とも「ボーと生きてんじゃねぇーよ」と書いてありました。

 嶋津君と最後に話したのは二月二十三日です。直接会ったわけではなく、ラインのビデオ会話です。彼は元気そうに見えましたが、膵臓癌を患っていたようです。三月の初旬に病院で検査したところ、全身に転移していたそうです。

 お通夜の最後に導師が「嶋津さんは息を引き取られましたが、息を引き取るとは、故人の息を我々が引き取るということです」と言われました。彼の息を我々北高同窓生が引き継ぐわけです。我々の息も我々の遺族や友が引き継いでいくと解釈しました。

その時まで、「ボーと生きてんじゃねぇ」ように生きていきたいものです。

北高の皆さん、長生きしてください。

 嶋津道彦君、安らかに眠ってください。

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