★このブログは私が南山中高等学校男子部の英語教員だったときに英語の副教材として発行していた「日英バイリンガル通信」の継続版です。★第1号は2002年11月発行で、当時の生徒は中学1年生でした。通信の最終号(第29号)は2008年3月発行で、生徒は持ち上がってきた高校3年生です。★同年3月に退職してからも同通信をブログで発行し続け、今日に至っています。 This is a continuation of the bilingual bulletin that I published for my students when I was an English teacher at Nanzan High School in Nagoya, Japan. I started the publication when I taught the seventh graders in 2002 and finished it when they graduated in 2008. I published 29 issues during the 6 years.
Monday, August 31, 2020
「オトウサンの木」My Father's Tree
Sunday, August 30, 2020
最後のキュウリ
一ヵ月半ぐらい前に、キュウリの苗と野菜用の土を買ってきて、ベランダ栽培を始めた。
二、三週間後に黄色い花が咲き、実が大きくなっていき、三つほど収穫があったが、それ以降は、花がいくつか咲いても、また、小指ほどの実をつけても、害虫のせいか、気温が熱すぎるのか、水やりの量が少ないためか、どれもこれも枯れたり、茎から落ちてしまった。
その後は三週間ほど蔓が上へ上へ伸びていったが、もう実をつけることはなかった。一メートル半ぐらい茎が伸びると、先端辺りに10枚ぐらい青い葉をつけていたが、それより下の葉は全て枯れて茎から落ち、細い長い茶色の茎だけが残っていた。
これで、このキュウリも終わりかと思った。
枯れかかった茎を見ていると、自分自身の人生と重なった。この茎は俺と同い年の七十七歳かと思い、せつなくて引き抜くこともせず、そのまま、ほおっておいた。
ある日、先端の葉っぱの茂みを見ると、七、八センチのキュウリが生ってる。
驚いた。
驚く生命力だ。
子孫を残すため、最後の力を振り絞って、最後の一本のキュウリの実をつけたのだ。
よく頑張った、と思った。
キュウリを見習わなければならぬと思った。
Tuesday, August 11, 2020
スコットの最期の言葉 Scott's Last Engry
最近、山本有三著の「心に太陽を持て」を読んだ。その本にロバート・スコットのことが書いてあった。
イギリスの海軍軍人、ロバート・スコットは南極探検隊を率いて1912年に南極点到達を果たすが、スコットが到着する以前にアムンゼンが到着しており、失意の中、基地に帰る途中に死亡した。以下は1912年3月29日。スコットが最後の力をふりしぼって書いた言葉。
毎日、我々は11マイル先の基地に向かって出発しようと思うのだが、テントの外は猛吹雪だ。今や、この状態が良くなるとは思えない。我々は最期まで頑張りぬくつもりだが、当然、体がさらに衰弱しており、死は目前に迫っている。残念ながら、これ以上書くことはできない。
最後に一言
どうか我々隊員の遺族のことをよろしく頼みます。
Scott's Last Entry
"Every day we have been ready to start for our depot 11 miles
away, but outside the door of our tent it remains a scene of whirling drift. I
do not think we can hope for any better things now.
We shall stick it out
to the end, but we
are getting weaker, of
course, and the end
cannot be far.
It seems a pity, but
I do not think I can
write any more--
R. Scott
Last Entry
For God’s sake, look
after our people."