奇跡の涙
目下「大唐西域記」(玄奘著、水谷真成訳、平凡社)を読んでいます。これは玄奘法師が、626年から645年まで19年間かけて、長安から天竺まで旅をした時の旅行記です。彼がタキシラ(現在のパキスタン首都、イスラマバードの近く)に滞在したとき、次のような昔話を聞きました。(以下、ほぼ水谷訳の通り)
アショカ王の太子クナラは正室の皇后が生んだ人である。顔形麗しく慈悲心のあついことが知られていた。正后が亡くなってから継室は我儘に淫奔で、その愚かさをほしいままにし、密かに太子に近づいた。継母は太子が己の意に違うのを見て一層怒りを増し、王の手隙を待ってごく自然に、
「タキシラは国の要地です。血の繋がった子弟でなかったならば任せることはできないでしょう。今太子の仁慈孝行は天下に聞こえていますが、賢人に親しまれますが故に世上の取り沙汰はこの点にあります」
と言った。王はすっかりこの悪だくみを喜ばれ、直ぐさま太子に命令を下し、注意をされ、
「私は御先祖の後を承け、引き続き仕事をしてきた。唯失敗をして先王を辱しめるのではないかと懸念している。タクシラは国家の要害の地である。私は今、汝にかの国を鎮守することを命ずる。およそ命令あれば、私の歯形の印を験べよ。印璽は私の口にあるのだから間違いを来すことがあろうか」
と告げた。そこで太子は命を受けてやって来て鎮守した。歳月は長くたったけれども継母はいよいよ怒った。詐って命令書を出し紫泥で封緘し、王が眠っているのをうかがい、そっと歯形の印をつけ、使者を急送させ問責書を授けた。
お傍の家来が、跪いて読んだが、なす術も知らなかった。太子が、
「何を悲しんでいるのか」
と尋ねると、
「大王が命令を下され、太子の両眼を抉り取り山谷に放逐し、太子夫妻の生死は時に任せよとあります。このような命令ではありますが、なお信用できません。どうか重ねておたずねし、縛して罪を待ちましょう」
と答えた。太子は、
「父上にして死を賜るならば、辞退することができようか。歯形で封がしてあるからには、真実間違いはない」
と言い、家来に言いつけてその眼を抉り取らせた。眼が見えないのであるから物乞いをしながら生活をし、あちらこちら流浪して父の都城にまで行った。妻は太子に告げて、
「ここは王城です。ああ、飢えや寒さはまことに苦しいものです。昔は王子、今は乞食です。どうか大王のお耳に入れて、重ねて先般の責めを申し述べることができるように願いましょう」
と言った。そこで謀り事を用いて王の厩舎に入り、声を長く引き悲しく歌をうたいハープで伴奏をした。王は高楼に居られてそのきれいな歌を耳にされたが、その歌詞が非常に怨むがごとく物悲しかったので、不思議に思い、
「ハープや歌声は我が子に似ている。今どうしてここへ来たのであろうか」
と問われた。家来が直ぐさま盲人を引き連れて来てお尋ねに対えた。王は太子を見るや悲しみをこめて問うて、
「誰がお前の体を傷つけてこのような災難に遭わせたのか。愛する我が子が失明しているのを覚らないでは、すべての人民たちをどうして明察することができようか。天なるかな。なんと私の徳の衰えたことか」
と言った。太子は泣きながら謝罪し王に対えて、
「まことに不孝の故に責めを天に負い、某年某月某日に突然御命令を受けましたが、お断りするに由なく責めを逃れることはいたしませんでした」
と申し上げた。王は継室の陰謀であることを心に悟ったが、究明する術もないまま直ちに処罰を加えた。
当時、菩提樹伽藍にゴーシャ大阿羅漢という人がおられた。王は盲目の子を連れて行き事の次第を話して、唯慈悲をもってまた眼が見えるようにしていただきたいと願った。その時かの羅漢は王の願いを聞き入れて、直ぐにその日、国中の人に、
「私は近く仏の妙理を説法しようと思う。人々は器一個を持ってここへ来て法を聴き涙を受けるように」
と宣布した。そこで遠近の人は走り集まり、男も女も雲のように集まってきた。この時羅漢は十二因縁を説法した。およそその説法を聞くもので泣きむせばないものはなく、持っている器でその流れる涙を受けた。羅漢は説法が終わると人々の涙を全部集めて金盤に入れ、自ら誓って、
「私が説きましたことは諸仏の至極の理にして、その理がもし真実でなく、説法に誤りがありますならば、これは何とも致しかたがありません。もしそうでなければ、願わくば人々の涙であの盲目になった目を洗い、眼がまた見えるようになり、その良く見えること昔のごとくならしめたまえ」
と言った。太子が人々の涙をとって眼を洗うと、眼はそのまままた見えるようになった。
I am reading "The Great Tang Records on the Western Regions," a narrative of Xuanzang's nineteen-year journey from Chang'an to India between 626 and 645. When he stayed in Taxila, near the present Islamabad, Pakistan, he heard the following folk tale:「タキシラは国の要地です。血の繋がった子弟でなかったならば任せることはできないでしょう。今太子の仁慈孝行は天下に聞こえていますが、賢人に親しまれますが故に世上の取り沙汰はこの点にあります」
と言った。王はすっかりこの悪だくみを喜ばれ、直ぐさま太子に命令を下し、注意をされ、
「私は御先祖の後を承け、引き続き仕事をしてきた。唯失敗をして先王を辱しめるのではないかと懸念している。タクシラは国家の要害の地である。私は今、汝にかの国を鎮守することを命ずる。およそ命令あれば、私の歯形の印を験べよ。印璽は私の口にあるのだから間違いを来すことがあろうか」
と告げた。そこで太子は命を受けてやって来て鎮守した。歳月は長くたったけれども継母はいよいよ怒った。詐って命令書を出し紫泥で封緘し、王が眠っているのをうかがい、そっと歯形の印をつけ、使者を急送させ問責書を授けた。
お傍の家来が、跪いて読んだが、なす術も知らなかった。太子が、
「何を悲しんでいるのか」
と尋ねると、
「大王が命令を下され、太子の両眼を抉り取り山谷に放逐し、太子夫妻の生死は時に任せよとあります。このような命令ではありますが、なお信用できません。どうか重ねておたずねし、縛して罪を待ちましょう」
と答えた。太子は、
「父上にして死を賜るならば、辞退することができようか。歯形で封がしてあるからには、真実間違いはない」
と言い、家来に言いつけてその眼を抉り取らせた。眼が見えないのであるから物乞いをしながら生活をし、あちらこちら流浪して父の都城にまで行った。妻は太子に告げて、
「ここは王城です。ああ、飢えや寒さはまことに苦しいものです。昔は王子、今は乞食です。どうか大王のお耳に入れて、重ねて先般の責めを申し述べることができるように願いましょう」
と言った。そこで謀り事を用いて王の厩舎に入り、声を長く引き悲しく歌をうたいハープで伴奏をした。王は高楼に居られてそのきれいな歌を耳にされたが、その歌詞が非常に怨むがごとく物悲しかったので、不思議に思い、
「ハープや歌声は我が子に似ている。今どうしてここへ来たのであろうか」
と問われた。家来が直ぐさま盲人を引き連れて来てお尋ねに対えた。王は太子を見るや悲しみをこめて問うて、
「誰がお前の体を傷つけてこのような災難に遭わせたのか。愛する我が子が失明しているのを覚らないでは、すべての人民たちをどうして明察することができようか。天なるかな。なんと私の徳の衰えたことか」
と言った。太子は泣きながら謝罪し王に対えて、
「まことに不孝の故に責めを天に負い、某年某月某日に突然御命令を受けましたが、お断りするに由なく責めを逃れることはいたしませんでした」
と申し上げた。王は継室の陰謀であることを心に悟ったが、究明する術もないまま直ちに処罰を加えた。
当時、菩提樹伽藍にゴーシャ大阿羅漢という人がおられた。王は盲目の子を連れて行き事の次第を話して、唯慈悲をもってまた眼が見えるようにしていただきたいと願った。その時かの羅漢は王の願いを聞き入れて、直ぐにその日、国中の人に、
「私は近く仏の妙理を説法しようと思う。人々は器一個を持ってここへ来て法を聴き涙を受けるように」
と宣布した。そこで遠近の人は走り集まり、男も女も雲のように集まってきた。この時羅漢は十二因縁を説法した。およそその説法を聞くもので泣きむせばないものはなく、持っている器でその流れる涙を受けた。羅漢は説法が終わると人々の涙を全部集めて金盤に入れ、自ら誓って、
「私が説きましたことは諸仏の至極の理にして、その理がもし真実でなく、説法に誤りがありますならば、これは何とも致しかたがありません。もしそうでなければ、願わくば人々の涙であの盲目になった目を洗い、眼がまた見えるようになり、その良く見えること昔のごとくならしめたまえ」
と言った。太子が人々の涙をとって眼を洗うと、眼はそのまままた見えるようになった。
King Ashoka and his Queen had a son named Kunala, who was noble and charitable. When the queen died, the king remarried a woman, who was selfish, unwise, and prurient. She hated Kunala. She contrived a plot and said to the king:
“Taxila is an important province for the country. A reliable man should govern it. Kunala is famed for his courage and virtue. No other man except him is suitable for the position. I suggest that you send him there."
Not knowing her scheme, the king consented to her. He summoned Kunala and said,
“My son, I have inherited my ancestor’s land. My source of anxiety is to lose it. To my disappointment, riots sometimes occur in Taxila. So, I order you to keep them down and govern the area. When I issue my orders, I will put my teeth marks on them. So examine the marks for verification. Since the marks are my teeth, there can’t be a fake.”
Kunala went to Taxila and ruled it. Years passed, but his stepmother still hated Kunala. She again schemed a conspiracy. She forged a fake decree which accused Kunala, sealed it with earthenware, and pushed the king’s teeth into it while he was sleeping.
poison into
the king’s ear
Hamlet
The letter reached Taxila. When Kunala’s aides read the letter, he turned sorrowful. Kunala asked what the trouble was. The aide answered:
“The letter orders you to gouge out your eyes, leave the castle, and live in the mountains. I doubt the letter’s authenticity. I beseech you to send someone to confirm it. It will not be too late to obey your father after the confirmation.”
Kunala said, “The letter is sealed with his teeth marks. So, this is genuine. I can’t reject his order.” He ordered his man to gouge out his eyes.
Shi Huangdi’s
fake decree
his son commits suicide
Years passed. Kunala and his wife lived a life of a beggar and roamed about the world. One cold day, they reached the palace, dizzy with hunger. His wife said, “Here is the palace. Once you were a prince and now a beggar. Why not offer an apology to the king?”
They sneaked their way into the king’s stable. During the night, Kunala sang a song, so sorrowful and tearful, accompanied by his wife’s harp. The wind conveyed the song to the king, who happened to be strolling in a castle tower. It sounded so lamentable that he said to himself, mystified, “How strange! The song sounds like my son’s, and the harp sounds like my daughter-in-law’s. Why are they here?”
Soon his men found and took them to the king. At the sight of his eyeless son, the king asked, sorrow-stricken,
“Why? Who on earth has hurt you? How can I see my people’s suffering if I cannot see my son’s? Oh, heaven, I regret I have lost good judgment.”
Kunala apologized in tears, “Heaven has punished me because I have been an ungrateful child. I received your order on such and such day. I did not protest but obeyed you.”
The king found out his second wife’s conspiracy and executed her.
execution
self-satisfaction
no restoration
There lived a great Buddhist monk named Gosha. King Ashoka took Kunala to the monk, told how his son became blind, and asked him to restore his sight. Gosha listened to him and made an announcement to the public, “I am going to give a sermon tomorrow. So, everyone, come to the temple with a bowl.”
The next day, men and women, young and old, gathered at the temple, a bowl in their hands. The priest talked about The Twelve Karma. Everyone wailed and shed tears in the bowl. After preaching, the priest gathered all the tears into one bowl and said to Kunala, “If my teaching is right, the tears will cure your blindness.”
Kunala washed his eyes with the tears and, strange to say, his eyesight recovered.
miracle in Buddhism
Lourdes’s spring
miracle in Christianity
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