奥条の思い出
②駒野駅近くの踏切を渡る
私が生まれたのは母の実家で、岐阜県海津市(昔は海津郡)南濃町奥条である。奥条は養老山脈の麓にある。
少年時代の私(松岡博)が、大垣から、どのように奥条に行ったか説明する。
JR大垣駅から近鉄桑名行に乗って、駒野駅(大垣→西大垣→大外羽→友江→高田→養老→美濃津屋→駒野)で降りる。駅を出て、すぐ左に曲がると小さな神社がある。神社を斜めに横切ると細い道に出る。細い道を進むと踏切がある。踏切から駒野駅が見える(写真①)。踏切を渡って②、しばらく歩くと工場の高い煙突が見える。工場の長い塀沿い③に歩くと、前方に養老山脈の丸い山④が見える。
塀沿いに歩くと幅50センチほどの用水路に出る。用水路を越えると、幅約3メートルの道路がある。道路を横断して山に向かって緩やかな坂道を歩いて行くと、右手に大きな水車が回っている。直径5メートルぐらいあり、苔が生えている古い黒い水車で、水を落としながら、ゆっくり回っている。しばし見惚れる。駅からここまで来るのに15分ぐらい掛かる。
水車を過ぎて、幅2メートルの道を歩く。道の両側は田圃である。右手に実家の栗林が見える。道を200メートルぐらい山に向かって進むと、前方に火の見櫓が見える。見上げると、櫓の天辺に鉦が吊るされている。火の見櫓を右に周り、左に進むと前方に、三体の地蔵様が座っている。地蔵様に手を合わせてお辞儀をする。地蔵様を左に曲がると深い竹藪がある。
竹藪を右に曲がって10分も歩くと、鶏が鳴いている。実家が飼っている鶏だ。鳴き声を聞きながら5分ぐらい奥に進むと、ちょっとした空き地があり、そこに瓦葺の、どっしりした門が建っている。実家の門である。駅から30分は掛かっている。
やっと着いた。
門を潜ると、すぐ左手に長さ4メートルの池があり、用水路が池に流れて来ている。池の前は広い庭で、庭の左手には白土塀があり、白土塀の奥は屋敷である。庭の右手には二階建の納屋がある。脱穀機などの農業器具が置いてあり、そこで山羊や犬を飼っている。庭の正面に玄関がある。
玄関から入らずに、玄関の右手にある勝手口に行く。井戸があり、水が引かれている。勝手口から家の中に入ると、土間になっており、土間には竈がある。竈の奥には五右衛門風呂がある。
「こんにちは!」大きな声で言う。
「まあ、まあ、ひろちゃん、よう来た」と祖母の声。
My Memory about Okujyo