Friday, June 28, 2024

喧しいにもほどがある Fed up with Noise

 喧しいにもほどがある


Fed up with Noise    

In Japan it is said that three women make an unbearable chattering noise. In my case, the number was seven. That means I suffered from more than double unbearable noises.

   The cause of the intolerable buzz was seven old women, all seemingly more than 75 years old. All my four-day trip with my wife to Komagane Highlands in Nagano prefecture were ruined by their clattering, chattering, irritating noises. They talked about everything and anything. Things they saw, things they bought, things they missed, things they ate, places they visited, and all the other things in the world.

   The irritation continued during the hour-and-a-half bus ride, supper and breakfast times, coffee times, at the corridors and the hotel lobby. They monopolized the bus and the hotel. Other customers, I believe, were totally annoyed by them.

   They were nuisance; they were the enemy of peaceful society; they destroyed the quiet atmosphere. The merrier they were, the more irritated I became. I hated to get on the bus with them. I dreaded to eat supper in the dining room with them. I was unable to read a newspaper at the lobby.

   The trip over, I am so relieved. Without them, the world is filled with tranquility. I have got back on my feet.

None of them realized even a bit that I was so annoyed.

Damn them.

Thursday, June 13, 2024

陰翳礼讃 谷崎潤一郎    ”On Prazing Darkness” by Jyunichiro Tanizaki

『陰翳礼讃』 谷崎潤一郎

以下は谷崎潤一郎著『陰翳礼讃』からの抜粋である。

われ/\の空想には常に漆黒の闇があるが、彼等は幽霊をさえガラスのように明るくする。その他日用のあらゆる工藝品において、われ/\の好む色が闇の堆積したものなら、彼等の好むのは太陽光線の重なり合った色である。銀器や銅器でも、われらは錆の生ずるのを愛するが、彼等はそう云うものを不潔であり非衛生的であるとして、ピカピカに研き立てる。部屋の中もなるべく隈を作らないように、天井や周囲の壁を白っぽくする。庭を造るにも我等が木深い植え込みを設ければ、彼等は平らな芝生をひろげる。かくの如き嗜好の相違は何に依って生じたのであろうか。案ずるにわれ/\東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、現状に甘んじようとする風があるので、暗いと云うことに不平を感ぜず、それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、その中に自ずからなる美を発見する。然るに進取的な西洋人は、常により良き状態を願って()まない。蝋燭からランプに、ランプから瓦斯燈に、瓦斯燈から電燈にと、絶えず明るさを求めて行き、僅かな蔭をも払い除けようと苦心をする。

後半で谷崎は「かくの如き嗜好の相違は何に依って生じたのであろうか」と疑問を投げかけている。この疑問に関し自らの見解を次のように書いている。即ち、「現状に甘んじようとする風がある」からだ。

谷崎の見解は江戸時代の封建社会を考えれば、一理あると思うが、別の理由があると思う。それはヨーロッパと日本の気候の差異だ。例えば日照時間であるが、ロンドンの年間日照時間は1500時間に対して、東京は1900時間ある。12月、1月になると、一日の日照時間はロンドンでは47時間であるのに対して東京は170時間もある。以前地中海クルーズに二回行ったことがあるが、ヨーロッパ人は日中に甲板に出て、長椅子に座り太陽の光を水着姿の体に当てていた。陽が沈むころになっても太陽のほうに椅子の位置を変えて陽に体を向けていた。日本では太陽光線を避けるのに、彼等は太陽光線を浴びたがる。

これでわかるように、日本の家屋は陽を避けるため長い庇を付け、縁側を作り、障子で光線を取り入れないようにしてある。庭にも樹木を植え、苔を生すようにして日光を和らげている。西洋の建物は、窓が大きく、庇はなく、ガラス窓でなるべく日光を取り入れるようにしている。

以上の違いから、日本の家屋と西洋の建物の構造が違ったのであろう。

”On Prazing Darkness” by Jyunichiro Tanizaki