感情移入させる『大黒屋光太夫』
いまだかってこんなに感情移入をした本はなかった。吉村昭著『大黒屋光太夫』(毎日新聞社)である。
主人公・大黒屋とロシアに置き去りになった庄藏。二人の心の裡がまるで我がことのように胸にこみあげる。
「光太夫は、舳先の近くに小市、磯吉と無言で立って前方を見つめていた。その海の彼方には日本があり、そこに向かっているのが夢のようであった。故郷の白子浦を出航したのは十年前で、それからの歳月のことが胸によみがえる。漂流しロシア領に漂着後、苦難に堪えながら生きてきたが、その間に12名が死亡した。さらに洗礼を受けた庄藏、新蔵はロシアの地にとどまり、現在三名のみが日本に向かう船に乗っている。別れに際して庄藏は泣き叫びながら追ってきて、新蔵も最後の別れの折には磯吉にしがみついて泣いたという」同書下巻157ページ。
庄藏は凍傷で足を切断し、義足であった。光太夫、小市、磯吉がロシアのエカテリーナ皇帝に帰国を許可を得るためイルクーツクからペテルスブルグに行った。その間に庄藏と新蔵は日本に帰ることを皇帝は許さないと信じていた。ロシアで死んだ場合、ロシア正教の信者でなければ墓地に埋葬されず、墓地の外に野ざらしになると言われ、二人は改宗した。光太夫が帰り、皇帝が帰国許可をくれたことを知って新蔵は帰国したかったが、宗旨が違うので帰国を無念の思いで諦めた。
光太夫は庄藏には、許可を貰ったなどと、とても言えす、帰国当日の朝、そのことを庄藏に告げる。庄藏は唇を震わせ「連れて行ってくれ。俺も帰る」と泣き叫んだが、光太夫は庄藏を振り切って別れる。庄藏は片足で光太夫を追いかけるが雪の中に倒れる。
何と痛ましい場面か。庄藏と光太夫の気持が胸に迫る。
Empathy in ”Daikokuya Mitsutayu”