Friday, June 24, 2022

歴史小説を書く Writing Historical Novels 

 歴史小説を書く 

 直木三十五の「大衆文芸作法」を読んでいて頭をガーンと叩かれたような気になった。

彼は歴史小説を書く心得を次のように述べている。

「歴史小説を書かんとする大衆作家は、専門史家と同等するとの、或いは以上の専門的知識、換言すると、当時の時代思潮、現在と異なっている当時の地理的事実、風俗、習慣、言語、服装、食いもの飲みものの細末に至るまでの考証的知識が必要となる」

 これには魂げた。虚構だからだいたいの雰囲気が出ておればいいと思っていたが、そうではないのだ。歴史家以上の専門的知識が必要なのだ。

 まるで実況中継するが如く現場の状況を描かねば、読者をその世界に引き込めないのだ。

歴史小説家の中には大学で文化史学を専攻し、大学院で奈良仏教史を研究している歴史学者もいる。到底太刀打ちできないと思っていたが、歴史学者に負けていてはいけないのだ。

Writing Historical Novels 

I was shocked when I read “Taishuu Bungei Saho” (Writing novels for the general public) written by Sanjyugo Naoki, a famed Japanese writer (1891-1934).

He wrote some must-do’s about writing historical books:

“Historical novelists need to have as much or more professional knowledge than historians. In other words, they should know the trends of the times, the geographical features that are different from the current era, the manners and customs, the languages, the clothes, and the food and drinks. They should be minute and based on the facts.”

I was surprised. Up to that time, I had thought, “What I am writing is a fiction. So I don’t have to put so much stress on historical facts.” I was wrong. I have realized that I need more knowledge than a historian. I have to write novels as if I am observing the scene. Otherwise, I cannot attract the readers.

A famous female historical novelist named S majored in cultural history in university and studied the Buddhism history in a graduate school. I had thought I could never cope with her, but I should go neck and neck with her.


Thursday, June 9, 2022

樹木伐採反対  Against Cutting Trees

 樹木伐採反対

最近、以下のような文書を私が住んでいるマンションの管理組合に提出しました。


提供公園の樹木伐採の件

 

第42期第4回議事録によりますと、提供公園の樹木の伐採に関して、名古屋市士土木事務所と協議を行われているそうですが、私は伐採に反対です。

 

1.  残念ながら当マンションの緑が年々減少しております。もう20年ぐらい前ですか、2号棟の北側にあったプレイロットの樹木や植え込みが駐車場設置のため伐採されました。また数年前に2号棟南側に生えていた桜が何本も伐採されました。さらに最近、提供公園に生えていた樹齢60年はあるかと思われる巨木が二本か三本伐採されました。そのうえ、また樹木を伐採する計画があるとか。悲しいことです。

  マンションに住んでいて心が安らぐのは緑豊かな樹木や花々です。マンションの樹々のお陰で、イオン前の大通りからマンション近くまで来ると汚れた空気の匂いが消え、樹々の匂いがしていましたが、それが消えていくのは残念なことです。

2.我らの子供たちが緑豊かな樹々に囲まれた公園で遊ぶことは子供たちの心を、眼には見えないけれど、間接的に癒します。緑のない公園で遊ぶ子供たちは可哀そうです。

3.また、マンションの価値も、周りに樹木があるのとないのとでは大いに違いが生じます。老朽化した当マンションを少しでも住みやすくするために樹木は大切です。荒地に立つ家より樹木に囲まれた家の方が住みやすいとは思われませんか。

4. 最近、菊住学区近辺の樹木が多く切られて、学区の緑が少なくなっていくことに哀しさを覚えます。山崎川護岸工事のため桜の老木が何本も伐採されました。自分の手足を切られたように感じました。イオンができてから、当マンション近辺で木が生えていた土地に建売住宅がいくつか建てられ、殺風景になりました。それなりに理由はあると思いますが、名古屋市は樹木の伐採を極力抑えるべきだと思っております。

5. 木を切るのは簡単です、しかし樹齢50年という木を育てるのには50年かかります。いったん切ったらそれでおしまいです。

6. 近隣にお住いの方から苦情があるのはわからない訳ではありません。その方たちにも樹木の大切さをご理解願わなければなりません。

問題は、落葉樹の始末です。これは町内会ならびに当マンション管理組合の役員の方々で、どのように落葉樹を清掃するか検討していただきたいと存じます。当マンションの清掃の担当の方に清掃していただくとか(それ相応の賃金を捻出しなければなりませんが)、町内会で輪番制にして清掃係を作るとか、子供会で「落ち葉拾いデー」を企画するとか、色々方法があると思います。伐採を前提にせず、伐採しないことを前提として検討していただきたいと存じます。私は後期高齢者ですが、及ばずながら、輪番制になれば落ち葉の清掃に参加させていただく覚悟です。

 

以上のことをご検討下さり、何とぞ公園の樹木はこれ以上切らなでいただきたいと思います。地球温暖化の警鐘が鳴らされている今日、10年後、20年後、50年後のことをお考え下さいますようお願い申し上げます。

                                                   以上


Against Cutting Trees